ここ数ヶ月のいくつかのイタい出来事から、何を学ばされているのかと考えたすえに「接する全てのモノ・コトに敬意を払う」とはどういうことなのか?をテーマに研究中。
例えば、食器を洗う。どれもこれも世界で一番お気に入りのものだとしたらどう洗う?
例えば、何か大きなものを2階に運ぶ。とても大切なものだからどこにも当てないように、一番持ちやすい持ち方をして、階段を上がる足の裏もソフトに呼吸も静かに。
例えば、トイレの介助をする。ちょっと臭かったりする。「その人を尊重する」とかの曖昧さ(?)ではなくもっとディテールに入ってみる。その臭いに敬意を払うとは?たるんだお尻の皮との摩擦を一番少なくオムツを引き上げる手の使い方は?
例えば、タイヤと路面との関係がエレガントなようにブレーキをかけてみる。周囲のできるだけたくさんの車の動きを視野と意識に入れようとしてみる。荒っぽい運転の車を柔らかく車列に溶け込ませるには?
例えば、ご飯を一口食べる。口の中のものを最大限味わうにはどうしたらいい?
正確に言えば、そうやってみようとしている。
それだけで、いかに粗いか、いかに集中してないか、いかにちゃんとコンタクトしていないかがわかる。ここもそこもスキだらけ。嫌になるほどわかる。
なんという本で読んだのか、抜き書きノートに残るこんな言葉がちょっと勇気をくれます。
「研究」という言葉には、不思議な語感がある。現実には何も解決していないのに「研究をしている」と言い放つことによって、現状の未解決に誇りをもって立ち続けることができる。
そうですね。ただ続けてみるだけですね。